『Uncommon Places』写真集の書評・感想・レビュー:スティーブン・ショアが切り取ったアメリカの“なんでもない風景”

『Uncommon Places: The Complete Works』(スティーブン・ショア(Stephen Shore) / 2004年)

Uncommon Places: The Complete Works(Stephen Shore)表紙画像(出典:Amazon商品ページ

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はじめに──何気ない風景にハッとさせられる瞬間

アメリカやカナダを旅するとき、何気ない風景にふとカメラを向けたくなることがある。そんなときに思い出すのが、スティーブン・ショア(Stephen Shore)の写真集Uncommon Places: The Complete Works(2004年)だ。

この写真集に収められた数々の写真を初めて見たとき、僕はその一枚一枚に思わず見入ってしまった。

主に1970年代に撮られた古い写真だが、そこに写っているのは特別な景勝地でも著名な建築物でもない。アメリカのどこにでもありそうな、ごく普通の風景だ。

普段は気にも留めず通り過ぎてしまうような場所、「見るべき風景」のあいだに存在する、いわば“退屈で暇な場所”。

しかしそこには、アメリカの町角や町外れに濃厚に漂う、ノスタルジックな色気のような空気がはっきりと写り込んでいた。

 

(※なお、本記事では便宜上「アメリカ」と単独で表記しているが、写真集にはカナダで撮影された写真も多く含まれている。いずれも「アメリカ的な風景」として捉えられることが多いため、そのように表記を統一している。)

 

 

書評|『Uncommon Places』の魅力とその理由

 

なぜこの風景に目を奪われるのか──写真に映るアメリカの感触

 

まずは、実際の写真を、「じっくりと」見てほしい。百聞は一見に如かずとはこのことだ。

(※写真はすべてスティーブン・ショア『Uncommon Places: The Complete Works』(Thames & Hudson, 2004)より引用。掲載にあたり、画像はサイズを縮小している。詳細は末尾をご覧いただきたい。)

 

スティーブン・ショア《Uncommon Places: The Complete Works》(Thames & Hudson, 2004)より Second Street East and South Main Street, Kalispell, Montana, August 22, 1974 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Stephen Shore

 

スティーブン・ショア《Uncommon Places: The Complete Works》(Thames & Hudson, 2004)より Mount Blue Shopping Centre, Farmington, Maine, July 30, 1974 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Stephen Shore

 

スティーブン・ショア《Uncommon Places: The Complete Works》(Thames & Hudson, 2004)より Broad Street, Regina, Saskatchewan, August 17, 1974 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Stephen Shore

 

スティーブン・ショア《Uncommon Places: The Complete Works》(Thames & Hudson, 2004)より West Fourth Street, Little Rock, Arkansas, October 5, 1974 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Stephen Shore

 

スティーブン・ショア《Uncommon Places: The Complete Works》(Thames & Hudson, 2004)より Wilde Street and Colonization Avenue, Dryden, Ontario, August 15, 1974 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Stephen Shore

 

いかがだろうか?

 

• 人がいるはずの場所に誰もいない、妙にがらんとした感じ
• 整備されていないまま野ざらしになっているような砂ぼこり感
• 広すぎる駐車場にわずかしか停まっていない車の間延び感
• 誰かの痕跡だけが残されたぽつんとした寂寥感
• 人工的な景色に対して妙に澄み切った空の青さが際立つ構図
• 郊外の人工エリアのすぐ外側に感じる、荒野の気配

 

ショアの写真は、こうしたアメリカ特有の「空気の肌触り」を明確に写し取っている。

気がつくと、僕は「こういう場所に行ってみたい」「モーテルを転々とするロードトリップに行きたい」という気分になっていた。

実際には、いわゆる観光地のような“映える”場所ではないとわかっているのに、なぜか心惹かれてしまうのだ。

 

 

アメリカの“象徴的な風景”としてのスモールタウン

こういったアメリカの風景に、言葉にしづらい魅力を感じている人は少なくないのではないだろうか。

旅行で訪れた人だけでなく、映画、小説、音楽、ゲームの中に登場するアメリカの風景──それらに不思議な懐かしさや郷愁を感じたことのある人も多いはずだ。

たとえばこんな風景を想像してみてほしい。

 

• 遠くにポツンと立つ給水塔
• 何もない一本道の途中に現れるガソリンスタンド
• 殺風景な郊外にある平屋のモーテル
• くたびれたけど妙に味のあるダイナー
• 夕暮れどきのホンキートンク(安酒場)
• 舗装の荒れた裏通りに停まる古いアメ車
• のっぺりと横並びに並ぶメインストリートの低層建築群と交差点

 

こうした風景は、アメリカを舞台とした多くの物語作品に、背景として登場してきた。観光対象でもない、ただの“通過地点”に過ぎない風景が、なぜか私たちの心の奥に残る──そういう力を持っている。

そして僕自身も、こうした魅力に気づいてから、旅行中のカメラの向き方が変わった。行き先そのものだけでなく、途中で出会う“なんでもない風景”にも惹かれるようになった。

 

アメリカにはなぜこういう風景が多く、なぜこうした風景に惹かれるのか──ここでは、3つの視点から、その理由を考えてみたい。

 

 

視点①:風景に漂う空気──乾いた余白と奇妙な静けさ

アメリカの町を歩いていると、建物と建物のあいだが妙に空いて見えることがある。間を埋めるのは、舗装された駐車場や空き地のような広場で、都市にありがちな密度や、暮らしの気配の濃さよりも、どこか間延びした印象を受ける。

これは、おそらく車社会広大な国土がもたらした風景の成り立ちなのだろう。ショッピングモールやドラッグストアのような日常的な建物が、広大な駐車場とともに並ぶ構図は、まるで「建物が中心」ではなく「車が快適に動けるように配置された町」のようだ。

こうした建築スタイルや都市設計が当たり前になるにつれて、町全体に「のっぺり感」や「視覚的な距離感」が定着していったのではないだろうか。

スティーブン・ショアの写真には、こうした空間の設計思想そのものが写り込んでいる。建物と建物のあいだの空白。使われているようで使われていない広場。空間の“意図”が抜け落ちたような風景。それが、「何もないのに見入ってしまう」写真の正体であり、エキゾチックな感情すら呼び起こされる。

 

 

視点②:廃れた風景に漂う「乾いた詩情」

アメリカの小さな町では、閉店した店や、色あせたモーテル、誰も住んでいなさそうな家が、ごく普通に風景の一部として存在している。これらは撤去されず、長くそのまま放置されていることもよくある。

なぜか? ひとつには、土地が広く、新しい建物を建てる余地がいくらでもあるからかもしれない。古いものをわざわざ壊すより、別の場所に新しく建ててしまう方が合理的なのだろう。

また、建物自体もプレハブや木造といった軽量な構造が多く、時間が経つと自然と風化していく。色が剥げ、看板が擦れ、窓枠が歪み、それでもそのまま残っている。

結果として、そこに生まれるのは、しみじみとした寂しさというより、使い終わったものがただ置かれているような、乾いた余白のような空気だ。感情のこもった廃墟ではない。ただ「そこにある」。それを、ショアは極端に感情を排して、淡々と撮っている。

 

 

視点③:装飾感のなさが生む「余白」と「自由」

アメリカの風景を眺めていていつも感じるのは、「装飾が驚くほど少ない」ということだ。特に郊外や地方都市では、建物や街路に凝った意匠がほとんど見られない。

これは単なる美意識の違いというよりも、車社会による空間設計の影響が大きいと考えられる。

都市が、歩行者ではなく車のために作られていることで、視線を誘導するような装飾的な要素は軽視され、代わりに道路や建物は「記号性」と「機能性」に徹していった。車窓からの風景に、建物の細部までは目が届かないのだ。

その結果として、建築や看板、舗装面に至るまでが、無機質で均質な「見た目」になっている風景が少なくない。

もともと機能性を重視して発展してきたため、モーテルやダイナーにも仮設的で簡素な構造のものが多く見られる。必要最小限の機能があれば十分という実用的な考え方が背景にあるようだ。そのため、装飾的な工夫や凝った意匠は控えめで、デザインは画一的で無機質になりやすい。

さらに言えば、こうした装飾の少ない空間は、アメリカ的な風景全体に広がる特徴でもある。西部劇の町並み、郊外住宅の均質性、大量生産の建物群──いずれも過剰な演出を避け、機能を優先することで成立している。

その結果として、飾られていないがゆえの“意味の余地”が空間に生まれる。

ショアの写真に惹かれる理由の一つは、まさにこの「何も足されていない風景」の“余白”に、見る者が自由に感情や物語を差し込める“受け皿”のような空間が用意されている点にある。

その余白の中で、構図のバランスや光の具合にふと目が留まり、意味を読み取ろうとするのではなく、“空気そのもの”がじわりと立ち上がってくるような感覚が生まれる。

「作り手」側の明確なメッセージが込められていないからこそ、見る者それぞれの個人的な物語が、そっとその風景に入り込む余地がある。

そして、そうしたバラバラな個々の感情に、どこか共通した感覚を呼び覚ませる──その感性と構成力の高さに、ショアの写真家としての力量を感じずにはいられない。

 

 

なお、上に書いたいくつかの視点は、僕自身がアメリカに住んだり、旅行する中で実感として感じてきたことだが、以下のような記事にも、その成り立ちや背景が詳しく書かれている。興味がある方はぜひ読んでいただきたい。

 

 

 

スティーブン・ショアと『Uncommon Places』──日常の中の非凡

スティーブン・ショアは、1947年ニューヨーク生まれ。14歳にしてMoMAに作品が収蔵され、若くしてアンディ・ウォーホルのファクトリーにも出入りしていた人物だが、彼の写真家としての本領は、1970年代以降に取り組んだ「日常風景」の記録にある。

代表作『Uncommon Places』は、大型カメラ(8×10インチ)を用いて、アメリカ各地の交差点や駐車場、住宅街、モーテル、ダイナーなどを丁寧に記録したもの。初版は1982年、2004年に『The Complete Works』として再編集された。

当時まだカラー写真は芸術表現として認められていなかったが、ショアはあえてカラーを使い、構図や色彩の微細なバランスに美を見出した。何も起きていない、ただの風景。だがその「配置」こそが作品の核心だった。

『Uncommon Places』というタイトルが示すように、“非凡さ”は決して風景の側にあるのではなく、見る側のまなざしによって立ち上がるのだ──という哲学が、そこには込められている。

僕が思うに、ショアが記録したスモールタウンの風景は、彼にとって「知っているけれど属していない場所」だったのかもしれない。ニューヨークで育った彼にとって、片田舎の町並みは遠くの風景だった一方で、アメリカ人として映画や絵はがき、小説や旅の記憶の中で慣れ親しんでもいたはずだ。

その距離感──近すぎず遠すぎない感覚が、淡いノスタルジーと異質さの入り混じったまなざしを生んでいるように感じる。

 

 

書評のまとめ──アメリカの空気に出会う旅へ

ショアの写真は、誰かの思い出でも、自分の記憶でもないはずの場所に、なぜか懐かしさを感じさせてくれる。

もしアメリカを旅する機会があれば、観光名所をめぐるだけでなく、こうした“なんでもない風景”にも目を向けてみてほしい。

そこには確かに、目には見えない独特の空気感が漂っている。その空気を感じることができたなら、きっとその旅は、静かに深く、あなた自身にとって特別なものになるだろう。

 

【参考情報・著作権について】

  • Shore, Stephen. Uncommon Places: The Complete Works. Thames & Hudson, 2004.MoMA
  • Medium. “American Cities Actually Weren’t Built for the Car.” https://s-platis.medium.com/american-cities-actually-werent-built-for-the-car-f4699d76454c
  • Wall Street Journal. “A Stephen Shore Retrospective Comes to the MoMA.” Nov. 2, 2017. https://www.wsj.com/articles/a-stephen-shore-retrospective-comes-to-the-moma-1509632688
  • The Guardian. “Stephen Shore’s America.” Nov. 13, 2005. https://www.theguardian.com/artanddesign/2005/nov/13/photography.shopping
  • Edwynn Houk Gallery. 「Stephen Shore」アーティストページ. https://www.houkgallery.com/artists/89-stephen-shore/
  • Edwynn Houk Gallery. 「Pioneers of Color: Stephen Shore, Joel Meyerowitz, William Eggleston」展プレスリリース. https://www.houkgallery.com/exhibitions/65-pioneers-of-color-stephen-shore-joel-meyerowitz-william/press_release_text/
  • Swann Galleries. 「Spotlight on Stephen Shore’s Color Photography」. https://www.swanngalleries.com/news/photographs-and-photobooks/2021/10/stephen-shore-color-photography/
  • The Art Story. 「Stephen Shore」アーティストページ. https://www.theartstory.org/artist/shore-stephen/

 

※本記事に掲載している写真画像は、Stephen Shore 『Uncommon Places: The Complete Works』(Thames & Hudson, 2004)より、私的に購入した書籍を撮影し、引用の範囲内でご紹介している。画像は画質を抑えており、本書全体のごく一部に限られている。

写真の魅力を正確に味わうには、ぜひ実物の書籍を手に取って、その「乾いた余白」に漂う空気感を体感していただきたい。(※ショアは超大判フィルムで、ロードサイドの細部や微妙な色温度まで克明に焼きつけている。縮小画像ではすくいきれない細部の温度を、ページをめくりながらゆっくり感じ取ってほしい。)

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ショアの写真が好きな人へ──おすすめのもう一冊

 

『American Prospects』(ジョエル・スターンフェルド(Joel Sternfeld) / 2012年)

American Prospects(Joel Sternfeld)表紙画像(出典:Amazon商品ページ

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『Uncommon Places』が気に入ったなら、ジョエル・スターンフェルド(Joel Sternfeld)のAmerican Prospectsにも惹かれるかもしれない。

構図や色彩といった表層の共通点はあるが、写真家のまなざしには明確な違いを感じる。ショアの写真が「そこにあった風景」を淡々と記録しているのに対し、スターンフェルドの写真からは、より強く意図や語りかける気配が立ち上がる。

構図の中に主題がきっちりと収まっており、写真全体が一つの場面のように完結しているものも多い。

被写体も、都市の一角というより、アメリカの自然に囲まれたスモールタウンや、寂れかけた施設、広い空の下にある土地が中心だ。色は鮮やかだが、どこかもの悲しさが漂っている。『American Prospects』には、80年代のアメリカの空気が静かに封じ込められている。

ショアの静止した町角を出発点に、スターンフェルドはより長い道のり――草原と忘れられた工場跡を結ぶロードトリップへと誘ってくれる。

ジョエル・スターンフェルド《American Prospects》(D.A.P./Steidl, 2012)より Lake Oswego, Oregon, June 1979 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Joel Sternfeld

ジョエル・スターンフェルド《American Prospects》(D.A.P./Steidl, 2012)より Pendleton, Oregon, June 1980 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Joel Sternfeld

ジョエル・スターンフェルド《American Prospects》(D.A.P./Steidl, 2012)より Prince Manufacturing, Bowmanstown, Pennsylvania, November 1982 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Joel Sternfeld

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“見る”から“歩く”へ──静かな都市体験としてのGTA III

写真という “止まった視界” から、仮想のアメリカの都市へと足を踏み入れてみたくなったら:

👉 『GTA III』に“住んだ”数日間──都市の後味が体に残るゲーム体験

無名の交差点、色あせた看板、夜更けの駐車場。スティーブン・ショアのフレームを抜け出して、その続きを歩くように、画面の中の都市をさまよう。

ここで描かれる“アメリカ”は、誰もが知る観光地ではない。どこにでもありそうで、けれどどこにもない――そんな都市の余白。

銃や暴力といったゲーム内のアクションは、あくまで “スパイス”。本当に味わってほしいのは、名もない街角に差し込む光や、乾いた路地に漂う空気感

アメリカの無名の街路に、仮想世界の中で“住んでみる”──そんな視点でプレイすれば、このゲームは静かな都市体験として立ち上がってくる。

 

 

“Uncommon Places”に触発されて

これら写真集や、さまざまなアメリカの映画などに触れるうちに、僕のなかで“風景の見え方”が変わっていった。

下に貼り付けたスナップ写真のような、アメリカやカナダのなんでもない場所が、少しだけ輝いて見えるようになったのだ。ふと立ち止まった“途中の道ばた”に、カメラを向けたくなる──そんな旅が増えた。

どれも、特別な場所ではない。だけど、そうした風景のなかに、なぜか足を止めたくなるような、妙な懐かしさや美しさを感じることがあった。それは、スティーブン・ショアたちの写真に出会ったからこそ、感じるようになったものかもしれない。

そしてその瞬間こそが、「自分なりの “Uncommon Places”」なのだと思う。

スティーブン・ショアの『Uncommon Places』に惹かれたなら、ぜひアメリカやカナダをロードトリップしてほしい。

 

 

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