『Summer Nights, Walking』(ロバート・アダムス(Robert Adams)/2023年)レビュー・感想
▶ Robert Adams 写真集『Summer Nights, Walking』(Amazonで見る)
書評|『Summer Nights, Walking』──夏の夜を歩くまなざし
ロバート・アダムスと『Summer Nights, Walking』について
🔹 写真家紹介:「ロバート・アダムス」とは?
ロバート・アダムス(Robert Adams, 1937–)は、アメリカを代表する写真家のひとり。1970年代に登場した写真運動「ニュー・トポグラフィックス」の中心的存在として知られ、アメリカ西部の郊外や小さな町を繰り返し見つめてきた。
大自然の壮麗さを賛美するのではなく、人間の営みが入り込んだ風景──住宅地や道路、空き地や郊外の片隅──に注がれる抑制された視線が特徴。環境批評として読むこともできるが、声高に語るのではなく、静かな観察を通じて「土地の余白」や「語られない静けさ」を伝える姿勢に評価が集まっている。
🔹 写真集紹介:『Summer Nights, Walking』とは?
『Summer Nights, Walking』は、1970年代後半から80年代にかけてコロラド州ロングモント周辺で撮影された作品をまとめた写真集。夕暮れから真夜中にかけて、アメリカ郊外の住宅街を歩きながら撮られたイメージが、モノクロームで淡々と並ぶ。
写っているのは、街灯に照らされた歩道や家々の玄関先、駐車された車、木立や空き地といった、ごく日常的な風景ばかりだ。しかし、ページを重ねるにつれ、そこには夜の移ろいが静かに映し出され、鑑賞者は散歩する人の視線と呼吸を追体験することになる。
初版は1985年に Aperture から刊行。その後、未発表作を加えた増補版が 2009 年に Steidl から出版され、さらに 2023 年には新たな編集を経て Definitive Edition が刊行された。版を重ねるごとに構成は調整されているが、どの版でも共通して「夜の散歩」という体験を一冊の物語へと昇華している点が、この写真集の本質といえる。
写真集という名の “夜の散歩”
夏の夜、アメリカの小さな郊外の町を、ただ静かに散歩する。
そんな時間の感触を、自宅にいながらそっと味わえるのが、ロバート・アダムスの写真集『Summer Nights, Walking』だ。
ページをめくれば広がるのは、典型的なアメリカ郊外の夜の住宅街。玄関先の小さな花壇や芝生、通りに駐車された車の影、夜風に揺れる木立、そして明かりのともるリビングの窓辺──。
どれも、ごく日常的で、何かが起きそうな気配もない。けれど、そこには確かに、夜の空気の厚みと、生活の残り香が静かに満ちている。
いかにも “写真映え” しそうなものは、ほとんど登場しない。むしろ、歩いているときにふと目に入る、何でもない情景ばかりだ。
けれどその “ささやかさ” こそが、なぜか記憶の底に残っていく──。そんな断片たちが、アダムスの目によって丁寧にすくい上げられている。

ロバート・アダムス《Summer Nights, Walking》(Steidl, 2023[Definitive Edition])より 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Robert Adams
写真を眺めているだけで、気づけばこちらの呼吸もゆっくりと深くなる。夜の空気にじんわりと溶け込んでいくような感覚。あるいは、静かな夢の中をゆっくり歩いているような感覚が漂う。
光と影はしっかりと分かれているのに、その境界は柔らかく、淡くにじんでいる。抑制のきいたモノクロームの画面には静けさと奥行きがあり、写真集全体が一編の詩のような手触りをまとっている。
ややざらっとした紙質も、この風景の質感によく馴染んでいる。写真の輪郭はふわりと溶け、遠くの灯りまでが一つの抒情の中に包み込まれていく。まるで夜の空気そのものが紙の上に染み込んでいるかのようだ。
ページをめくるその行為自体が、いつの間にか静かな “夜の散歩” になっている──そんな一冊だ。
歩くほどに、心も夜も深まっていく
『Summer Nights, Walking』は、印象的な夜の風景を並べただけの単なる「美しい夜景写真集」ではない。
そこには、夕暮れのわずかな高揚から、深夜の静寂や不穏さへと向かう時間の流れが、静かに、しかし確かに織り込まれている。
写真はあくまで淡々と並んでいるように見えるが、歩いているうちに心が自然と変化していくあの感覚──夜という時間帯がもたらす内面の移ろいまでもが、丁寧にすくい取られているのだ。
たとえば前半の写真には、ぱっと見は真夜中のようにも思える暗がりのカットも含まれている。だがよく見ると、空にはまだわずかな明るさが残り、家々の窓には灯りがともり、どこか人の気配がある。
花壇や庭先、笑顔を浮かべた人物、生活のにおいが残る玄関先──そうした光景には、心理的な「安心感」や「日常のぬくもり」が感じられる。

ロバート・アダムス《Summer Nights, Walking》(Steidl, 2023[Definitive Edition])より 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Robert Adams
しかし後半に入ると、その空気が静かに変化していく。人の気配は次第に薄れ、灯りは消え、ゴミの落ちた歩道や、少し荒れた藪、舗装されていない道のような、ほんのわずかに不穏さの混じる真夜中の風景が増えていく。
同じ深夜の場面であっても、より “静けさの密度が高い” ものほど後方に置かれているように見え、写真集は徐々に、音も言葉も消えていくような深い沈黙へと向かっていく。
そして終盤には、人工物の存在すら希薄になり、草原や遠くの山並み、夜空といった、町の外側へと滲むような「自然そのもの」が現れてくる。

ロバート・アダムス《Summer Nights, Walking》(Steidl, 2023[Definitive Edition])より 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Robert Adams
こうした構成を支えているのは、一枚一枚の写真の選び方、並べ方にある種の完璧主義を感じるほどの配慮があるからだ。
しかしその緻密さは、「技巧的」な印象にはならない。むしろ自然で、無理がない。読む者はただ写真をめくっていくだけで、時間の深まりとともに感情の輪郭がゆっくりと変わっていくのを感じ取ることができる。
「夜の散歩」という素朴な主題を通して、アダムスは視覚を超えた体験=歩行の詩情を形にしている。語らずして語るような、隠れた繊細さと構成の静けさには、改めて深い感銘を受ける。
町の果てに広がる “荒野の気配”
この写真集には、アメリカの風景の構造──とくに北米的な「町と自然の関係性」を静かに感じ取らせる力がある。
夜の光と影を見つめているうちに、いつの間にか、土地そのものの呼吸や広がりが肌に染み込んでくるのだ。
日本で暮らしていると、「町が終わる」という感覚にはなかなか出会えない。
市街地の端まで行っても、その先にはまた次の町の住宅や商店が連なり、田畑や電線、複雑に入り組んだ道路が続いていく。風景は途切れることなく、人の営みで編まれた連続体として目の前に広がっている。
もちろん山間部や過疎地などの例外もあるが、多くの場合、日本では「町の外れ」がそのまま「別の町の入り口」へとつながっている。
けれど、北米のスモールタウンはまったく違う。町を外れた瞬間、そこにはぽっかりと “何もない広大な空間” が現れる。
舗装されたまっすぐな道の両側には、広い畑や草原、あるいはただの空き地のような風景がひらけていき、視界から人工物がすっと消える。次の町までのあいだを埋めるのは、ただ「自然」としか呼べない静かな空白だ。
地図にすれば、日本のように町の名前が細かく並ぶのではなく、小さな点と点を一本の線で結ぶだけで足りてしまう──そんな構造を、この写真集の風景から直感的に感じ取ることができる。
『Summer Nights, Walking』でも、前半は住宅街の匂いが濃厚で、灯りや生活感のある風景が続く。けれど、後半へと進むにつれて、風景は静かに変わっていく。
人の気配は遠のき、街灯はまばらになり、最後には草むらや雑木林のような自然のほうが前に出てくるようになる。
語られることはないのに、そこには「孤立した町と、町の外に広がる大きな空白」がじんわりとにじみ出ていて、まさにアメリカの風景構造そのものが、画面の奥から浮かび上がってくるのだ。

ロバート・アダムス《Summer Nights, Walking》(Steidl, 2023[Definitive Edition])より 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Robert Adams
さらにいえば、この「空白」は、ただの空白ではない。
一見すると、静かで穏やかな住宅街──だが、その舞台は「アメリカ西部」だ。
町の外れに平坦な自然が続くのではなく、夜の光の中で静かに浮かび上がるのは壮大な岩肌の風景。その姿は、町の静けさのすぐ隣に、果てしない西部の大地がひそやかに広がっている気配を感じさせてくれる。
僕自身も西部の旅のなかで、小さな町を出た途端に雄大な山肌が視界にひらけ、その落差にふと立ち止まるような体験をすることがよくある。
『Summer Nights, Walking』の終盤には、まさにその感覚がそっと息づいている。
結局のところ、この町は、荒野に抱かれた“隠れ家”にすぎないのかもしれない。
ロバート・アダムスの写真は、そんな “土地の素肌” が、夜の静けさの下でかすかに呼吸していることを、語らずして伝えてくる。
『Summer Nights, Walking』は、淡く美しい夜の散歩を通して、アメリカという土地の静けさや広がりを、深く、そして静かに味わう──そんな体験を与えてくれる。
夜の静かな部屋で、ページを一枚ずつゆっくりめくりながら、アメリカ西部の小さな町を、心のなかでひとり歩いてみる。そんな時間に、そっと寄り添ってくれる一冊である。
▶ Robert Adams 写真集『Summer Nights, Walking』(Amazonで見る)
日常の風景をめぐる写真集
『Summer Nights, Walking』で描かれた“風景の物語”に惹かれたなら、きっと気になるであろう写真集がある。ページをめくるたび、別の静けさに出会えるはずだ。
もうひとつの静けさ──『Eden』という風景の詩
ロバート・アダムスには、もうひとつ忘れがたい小さな写真集『Eden』がある。
1968年、アメリカ西部のとある町で撮影されたこの写真集には、ハイウェイの出口、ガソリンスタンド、昼の光に照らされた建物、そして夜のネオンなど、何気ない一日の断片が21枚のモノクロームとして並んでいる。
ここでもアダムスは、派手な出来事や劇的な風景を排し、「どこにでもある日常の空気」をすくい取っていく。ただし、そこに立ち上がるのは記録ではなく、詩情である。
風景のなかにあるわずかな振動を拾い上げ、それを静かに並べることで、見る者の内側に “物語のような気配” が染み入ってくる。
『Summer Nights, Walking』が “夜の空気” を編む作品だとすれば、『Eden』は “時間の帯” をそのまま紙の上に置いたような写真集である。

ロバート・アダムス《Eden》(Steidl, 2021)より Eden, Colorado, 1968 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Robert Adams

ロバート・アダムス《Eden》(Steidl, 2021)より Eden, Colorado, 1968 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Robert Adams
▶ Robert Adams 写真集『Eden』(Amazonで見る)
▶ ブログ内記事:『Eden』:静けさを撮るロバート・アダムスの澄んだまなざし
『Uncommon Places』──色彩が映し出す日常の詩
1970年代、ロバート・アダムスとほぼ同じ時代に、スティーブン・ショアもまたアメリカの「日常の風景」に目を向けていた。
写真集『Uncommon Places』は、モーテルや交差点、ハイウェイ沿いの看板といった何気ない場所を、大判カメラと鮮やかなカラーで切り取った作品である。
アダムスがモノクロームで「沈黙と余白」を写し取ったのに対し、ショアは色彩と細部で「日常の温度」を可視化した。
どちらも派手なドラマを避けながら、ただの風景に見える場所から静かな詩をすくい上げている。

スティーブン・ショア《Uncommon Places: The Complete Works》(Thames & Hudson, 2004)より Second Street East and South Main Street, Kalispell, Montana, August 22, 1974 作品紹介のために引用・縮小して掲載。© Stephen Shore
▶ Stephen Shore 写真集『Uncommon Places』(Amazonで見る)
▶ ブログ内記事:『Uncommon Places』:スティーブン・ショアが切り取ったアメリカの“なんでもない風景”
コメント
ロバートアダムスはとても好きで、うまく言語化出来ないところを上手に表現されてるなあって思いました。
EDENや、ショアの写真集も購入したいと思いました。
素敵な記事でした、ありがとうございました。
ロバート・アダムスの写真集、いいですよね。
アメリカの空気感が静かに染み出ていて、旅情に浸れます。
スティーブン・ショアの記事なども読んでいただけたら幸いです。
うれしいコメントをありがとうございました!